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横浜地方裁判所横須賀支部 昭和33年(わ)23号 判決

被告人 高田幸次郎こと林東一

主文

被告人を罰金弐万円に処する。

右の罰金を完納することができないときは、金弐百円を壱日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、韓国に国籍を有する外国人で、昭和二十六年九月五日頃、不法に、七、八屯位の貨物船を利用して大分県別府市附近に上陸し、本邦に入つた者であるが、その上陸の日から六十日以内に、その居住地の市区町村長に対し、所定の登録の申請をしないで、右の期間をこえて、東京都内等本邦に在留したものである。

(証拠の標目)(略)

(期待可能性がないとの主張に対する判断)

弁護人は、本件は、昭和二十六年被告人の祖国朝鮮にいわゆる朝鮮動乱が勃発し、骨肉相喰み屍山血河流血の惨劇が展開され、当時被告人の居住していたその郷土は、南北両鮮軍争奪戦の目標となり殆んど灰燼に帰したため、被告人は極度に戦争を嫌うに至り、当時南鮮軍より召集を受けたがこれに応じなかつたものであるが、当時南鮮においては、召集に応ぜず軍務に服さない者はみな銃殺されていた実状であつたので、被告人は自己の身辺の危険をのがれるため、やむをえず祖国を去り密かに日本内地に入国したものであつて、かかる環境にあつた被告人に対して、被告人の選んだ日本への密入国以外の所為を期待することは不能である。また、外国人は本邦に入つた日から所定の期間内に外国人登録の申請をせねばならぬことは、法の定めるところであるが、該申請については旅券を提出することが必要とされているのであるから、これを提出しないで被告人が外国人登録の申請をすれば、密入国の事実が発覚し、直ちに朝鮮に送還され、前陳の懲兵忌避の事実が暴露し銃殺されるので、被告人は右申請をしなかつたものであるから、かかる被告人に右申請義務の履行を期待することは不能である。すなわち、本件被告人の所為は、被告人にいわゆる期待可能性のない行為であるから、罪とならないものである、と主張するにつき案ずるに、

右の事実中昭和二十六年朝鮮動乱が勃発し、南鮮の山野において、南鮮軍と北鮮軍とが骨肉相喰む血みどろの戦闘をくり返えし、ために当時南鮮が修羅の巷と化したことは公知の事実であるが、その余の事実は、被告人の当公判廷における供述、司法警察員に対する自首調書、司法警察員並に検察官に対する各供述調書等、被告人の自供を措いては、他にこれを肯認するに足る何等の証拠もないから、にわかにこれを認めることができないばかりでなく、仮りに、右の事実が被告人の供述するとおり真実であるとするも、その主張するところは畢竟、被告人は自ら南鮮軍の召集に応ぜず南鮮においてその罪を犯した者であるところ、銃殺というその制裁を回避するため、やむをえず本件の所為に出でたというに帰し、その情においてはまた酌むべきものなしとしないが、凡そいずれの国家においても、その国法に違反し罪を犯した者は、その国法に従いその制裁を受くべきは理の当然であり、その主張自体によるも、被告人は南鮮の国法に違反し、戦時に際し召集に応ぜずその罪を犯した者であるというのであるから、たとい銃殺という極刑に処せられるとも、その国法に従いその制裁を受くべきことは、理論上これまたやむをえないところであつて、被告人には、これを回避すべき法律上何等正当の利益を有しないものといわねばならない。従つて南鮮における当時の状況からして、これを回避するためには、本件の所為に出でることが、たとい、やむをえなかつたとするも、そのために、日本の国法に従わない正当の理由となるものではない。期待可能性の理論は、条理上それが是認せらるべき範囲においてのみ容認せられるのであつて、自ら或る国において罪を犯した者がその罪に科せらるべき制裁をのがれんがため、他の国において犯罪行為に出でた場合である本件被告人の所為に対し、期待可能性を云々する弁護人の右主張は失当である。よつてこれを採用しない。

(法令の適用)(略)

右の理由によつて主文のとおり判決する。

(裁判官 上泉実)

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